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フィリピン
はじめてのフィリピン編〜フィリピン医療奉仕版

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 私が両親に連れられて初めてフィリピンを訪れたのは、中学2年の秋でした。父が「国際ロータリー」という団体に入っていて、そこで企画(?)されたフィリピンでの医療奉仕に参加するためでした。(ちなみに父は医者です)前年は父と母だけで参加していたのですが、見てきた途上国の現状を、私と弟にも見せたいという願いからでした。
 でも、私はフィリピンに対して「臭い・汚い・危険」という、3K(笑)を抱いていたので、どーしても気が進みませんでした。・・・という前に、なにしろ私は飛行機が言葉では言い尽くせないほど大っ嫌いだったこともあって、笑われるかもしれないけど、ホントに死ぬ覚悟で旅立ったのでした(笑)

 フィリピンのニノイ・アキノ空港につくやいなや、湿度の高いジメジメ感と独特の臭いに襲われ、一刻も早く日本に帰りたいと思いました。あぁ、これから5日間ここで暮らすのね・・・と思うと、早くも発狂しそうな勢い(笑)異国に来たわくわく感なんて、これっぽっちも感じられませんでした。ふてくされながらも腹をくくり、空港からホテルに着くまでの車の中窓から外の景色を眺めていると、右側にそれはそれは素晴らしい高層ビル郡が見えてきました。な〜んだ、聞いてたほど貧しい国じゃないジャン!そう思って何気なく左側を見てみると、信じられない光景が広がっていました。黒くて小さなほったて小屋が無数にひしめき合っている、信じられない光景が・・・・・・こんなことってあり?右手に高層ビル、左にスラム・・・・・・

 頭が混乱しているその時、車の窓をコンコンとたたく音が。びっくりして良く見てみると、小さな男の子が新聞の束を持って窓をたたいていました。さらによくよく道路を見てみれば、その子だけではなくたくさんの子供が渋滞している車の間を縫って色々なものを売っていました。車を運転していた現地の人が、「ストリートチルドレンが増えて困っているんですよ」とポツリと言いました。

 次の日。医療奉仕活動の為、スラムにある小学校に行きました。そこの小学校は、貧しい家庭の子供が通っており、身なりも本当に粗末なものでした。その日の活動が中盤にさしかかってきたころ、一人の女の子が私に話しかけてきました。この国の公用語はタガログ語ですが、過去の植民地だった経緯から英語も通用します。しかし、その女の子が喋っているのは私には理解できないタガログ語でした。現地ロータリーの人に聞いたところ、貧しい人々は学校に行けない事が多く、行ったとしても英語を習得している人は少ない、ということでした。つまり、フィリピンは貧富の差が激しく、お金持ちか貧乏かという状態で、富を築いたひとの家は総大理石の床にたくさんのメイドを抱え、庭にはプールがあるのに、貧しい人はほったて小屋に住んでいる、というのと同じでお金持ちは容易に英語を話す事ができ、貧しい人はタガログ語を話す事しかできない(読み書きはできない)ということです。でも、せっかく話しかけてきてくれたのだから、なんとか意思の疎通が出来ないだろうかと、私は身振り手振りで話しかけてみたのですが、彼女は首を傾げるばかり。諦めてその場を去ろうとしたその時!彼女が私ににっこりと微笑んだのです。胸に込み上げてくるものがありました。

 やはり彼女には私の話す「英語」が理解できなかったのでしょう。でも、この時私と彼女のこころは確実に通じ合ったのです。フィリピンにくることにあれだけ消極的で、来てからも水が飲めない・トイレが汚い・帰りたいと文句ばかり言っていた私が、この国で言葉の壁を越えてコミュニケーションをとれたことは、それだけで大きな収穫でした。

 次の日。今世紀最大の噴火と言われた大噴火が記憶に新しいピナツボ火山周辺地域へ奉仕に行きました。未だに何もかもが灰に埋まっている地域。それは、噴火の凄まじさを物語っていました。3階建ての建物の3階部分しかみえない。多くの村が埋まり、降り積もった灰の下には何千何万という人・家畜・家が埋まったままだということでした。見渡す限りの灰野原。灰の他には何もありません。


 道路の脇に、たくさんの人が立っていました。灰を吸わないようにか顔を布で覆ったたくさんの人が。子供もいます。その人達はみんな、通りすがる車に向って手を差し出していました。お金をねだっているのです。なんだかとてつもなく切ない風景でした。
 一人の少女が診察にきました。赤ちゃんを抱えています。兄弟の子守りかと父が尋ねると、少女は「違う」といい、「この子は自分の子だ」と付け加えました。少女の年齢を尋ねると「13才。」話を聞いて行くと、生活の為に売春をしてできた子供でした。不完全な少女の体から、劣悪な衛生状況に生まれてきたその赤ちゃんは、見るからに弱々しく、小さな小さな存在でした。


 この国では、少女の売春がストリートチルドレンと並んで大きな問題になっていました。家が貧しく、親は働き手が見付からない。だから、子供が稼がなければ死んでしまう。生活の為とはいえ、娘を売春宿に売り飛ばさなければいけない理不尽さ・・・そして売られていった少女達の気持ち・・・。でも、この国ではこれが現実なのです。いくら理不尽でも、こうする他ないのです。

 売春宿にいる少女たちを買っていくのは、ほとんどが日本人男性だといいます。
 ホテルのエレベーターを待っている時、男性に日本語で話しかけられました。「きみ、日本人だよねぇ?」「そうですけど・・・」「日本人の若い女の子がフィリピンに何しにくんの?フィリピンは女を買う所だぜ?女がこんなきったねー国にきたってしょーがねーじゃん」「・・・奉仕活動で・・・」「うひゃ〜!まじめだねぇ。俺なんか日本から『買春ツアー』できたってのに」「・・・・・・・・・・・・」  その男性は、片手にフィリピン人女性を抱いて去っていきました。これほど恥ずかしいことが他にあるでしょうか??やり場のない怒りと恥ずかしさは、生涯忘れる事ができないです。同じ日本人としての恥ずかしさ。女性としての怒り。
日本人男性のバカヤロー!!


 初めて行ったフィリピンで、私は色々な経験をしました。そして、フィリピンに対してよくない先入観を持っていた自分がとても恥ずかしくなりました。
たった1週間にも満たない医療奉仕で、一体何人の人が救えるのかわかりません。なにしろ、ほとんどの患者さんが慢性の疾患を抱えているのに、お金がなくて病院に行けない・・・という状態ですから。診療に来た人の中には、出す薬なんて気休めにしかならない位病状が進行しているひともたくさんいたし、もう3.4日しかもたないという患者さんもいました。父は医者ですから、日本なら難なく救えるのに、そんな患者さんを目の前にしながら救えないもどかしさや、生と死が平等ではない理不尽さに苛まされたようでした。

 どうにかしたいのに、どうにもならない。こんな短期間で何か変わることは期待できない。でも、『継続は力なり』!この活動を続ければ、何かがかわるかもしれない!短期間でも、私達が毎年フィリピンを訪れることで、ちょっとは病める人の生きる希望になれるかもしれない!

 こんな経験を与えてくれた、両親とフィリピンに感謝して、私はこれから毎年この国に来る事を誓ったのでした。


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